2007年06月20日

夕鶴

本家のコメント欄で「夕鶴」の話が出たので何となく色々と思い出したので書いてみる。


まぁ、私は昔芝居をやっていたわけだけど、「夕鶴」はやってみたい演目の一つだった。幸い、脚本が出版されていたので買って、何度も何度も読んだ。
でも、どうしても私には「つう」が解らなかった。あまりにも私と違いすぎて、全く共感できる部分が無かった。一つでも重なる部分、共感できる部分があれば、そこから役を掘り下げて演じることは出来る。それが全く無いということは致命的だ。
大体、私だったらつうのように泣きながら去っていくだけじゃ済まさない。「なんで見やがったこのやろう!」と、蹴りの一つや二つや三つは入れるところだ。そうなるともう、悲しいお話でもなんでもなくてただのコメディになってしまう。あ、でも、「現代版・夕鶴」とかなんとか銘打ってコメディでやるのもそれはそれで面白いかもしれない。でも、既に誰かがやってる可能性も。








木下順二(夕鶴の作者)が卒倒しそうだ。
posted by 華音 at 23:51| Comment(8) | TrackBack(0) | かけら | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
どっかで見たような気がするんだけど、本物の役者っていうのは、自分とは正反対の役をこなすもんなんだって。
役に共感して入り込んで演じるのは誰でもできるけれど、役者として優れている人は共感なくても演じることができるんだとか。誰だったけなあ、有名な監督さんがそんなことを言ったと思うけど。
それ、小説や詩やエッセイなんかでも言える。
経験したことを脚色して書いた場合、そういうのは読んだ相手の心を動かすのはあたりまえで、実はまったく経験したことないことや、感じたことのない感情を文字で書いて、それを誰かに共感させるっていうのが才能のある物書きってことなんだろうなあって。

またしても記事に関係ない自分語りしてしまったし。許せ友よ。(^^;
Posted by キミの友 at 2007年06月21日 07:54
うーん…
有名な監督が言うことだから本当だとは限らないんじゃないかな。ていうか、監督は役者じゃないから、役者のことは解らないと思う(理解してる「つもり」かも?)
でね。その監督の言う「本物の役者」ってのがどんなのかわからないけど、正反対の役だと思っててもどこか「解る」部分ってのは大体存在するから。で、役に共感して入り込んで演じるのは誰でも出来るってのも納得いかない。「誰でも」って…そんな簡単にできねーっつーーの!(笑)それに、入り込めば良いってもんでもないし。そこら辺の匙加減が難しいんだよね。

以上。
監督への反論でした(笑)

小説については、そうかもしれないなぁ…とも思うけど。でもさ。いわゆるノンフィクションだから人の心を打つってもんでもないでしょ?やっぱ「文章力」「表現力」かなぁ。
あ、でも「表現力」という点では役者も一緒か。役を理解しても、それが無くちゃ感動は与えられないもんね。
Posted by 華音 at 2007年06月21日 08:41
今日女性雑誌見てて思い出したんだけど。ちょっと違ってた。私の言いたいこと。

役者が監督通りに動かない役者っていうのは良い役者じゃないっていうのだった。誰が言ったか忘れたんだけど。でも監督だったと思う。
とある役者が、監督が支持するとおりに動いて与えられたセリフを言うんじゃなく、自分はこうじゃないとイヤだとか、自分はこういうふうにすればいい作品になるとか言い出すんだけど、そういう人は役者じゃなく監督になるべきだなあって。
役者はあくまで与えられたものを完璧にこなすだけであり、そういった役者が良い役者である。って、なんかのときに聞いたんだよね。
たぶん、役者が「こうしたら絶対よくなるのに」と思うことは、たとえ本当に役者の言い分が正しいとしても役者としては良くないのかもしれないって。

ちょっと言いたかったことからズレてきた。

まあ、そういうのを踏まえて、私が勝手に「役者って与えられたものが共感できなくても演じられるのが本物の役者のかな」って思ったんだと思う私。
なんかワケわかんなくなってきた。自分で言い出したのに。
Posted by キミの友 at 2007年06月21日 14:08
あ、それって映画とかドラマのことでしょ?「監督」だもんね。舞台だったらそれに該当するのは「演出家」で、演出家ってのは役者に考えさせる人が多いんだよね。ていうか、殆どがそうだと思う。それでやった演技が違うと思ったらやり直させるし、演出家と役者の解釈が違ったら議論することもある。勿論、自分のやり易さとかで「我」を通す役者は論外だよ?
これ、映像の世界と舞台とでは違うのかもしれないなぁ。考え方もやり方も。舞台は役者が考えて、演出家は軌道修正したり全体を纏め上げる。映像は、まず最初に監督のイメージがあって、それを形にするために役者が指示通りに演技する。そんな感じかな。

で、共感についてだけど。
その境遇や感情を自分が体験したことが無くても、なんとなくでも「解る」ような気がすればいいんだよね。どうしても理解できない場合は、うーん…演技できない事は無いけど、どこか「嘘」の演技になりそうだな。その「嘘」を観客に悟られなければいいのかもしれないけど。私はそれは「演技」ではないと思うし。

それと、役は「与えられるもの」ではなく「掴み取るもの」だという考え方も、舞台特有なのかなー、なんて今回思った。や、舞台でも与えられる事はあるけどね。
Posted by 華音 at 2007年06月21日 15:17
そうそう。私の言ってるのは「映画」なんだよね。
映画と舞台じゃやっぱり違うんだよきっと。
舞台の場合だと、キミの言うことが正しいことに聞こえるもん。

あーなんかスッキリした。納得した。(^^)v
Posted by キミの友 at 2007年06月21日 18:03
まぁ、ホントのところはどうなのかってのは謎のままかなー。私は映像の世界のことは知らないし、舞台の世界を知ってるといっても全体ではないし。
だから、全部が全部私が言ってることが正しいとも思わないでね。


と、予防線を張ってみる(おい)


で、最初のコメントだけど、記事に関係ないとか思わなかったし、自分語りとも思わなかったよ。
てか、私が自分語りを許してる唯一の人だからいくらでもOK。どんとこい超常現象(違)

Posted by 華音 at 2007年06月21日 19:48
ふふふふ♪
生霊そっちにもいってますよん、きっと。(笑)
Posted by キミの友 at 2007年06月22日 07:05
臨むところだ!
添い寝してもらうぞ!(//∇//)←なぜ赤くなるw
Posted by 華音 at 2007年06月22日 15:42
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